アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

便利になるとなぜか忙しくなるという矛盾

便利になることとは、今までの重労働や手間のかかる作業から解放されて自由な時間を手に入れることではないでしょうか。

しかし、時代は進み便利になった今でも忙しさは増しているように感じます。

僕の住む地域では多くの人が田んぼを持っています。

お米を作るためには田んぼを耕し、苗を植え、稲刈り、乾燥、脱穀など多くの工程が必要ですが、ほとんどの人はそれを全て機械で行います。

機械の力は偉大なもので手で植えたら何十人がかりで何日もかかっていた作業が、一人と一台で数時間で終わってしまいます。

便利になったということで身近な例をあげればスマホです。連絡のやりとりも簡単にできるし、写真も送れる、GPSで現在地もわかる、ニュースも見れる。

便利なものは形あるものだけではなく世の中の仕組みやサービスもそうです。

例えばUberなどの配車、宅配サービス、アマゾンプライムの映画見放題。

LCCなど格安航空の普及のおかげで飛行機での移動も身近になり、数年後にはリニアモーターカーも完成予定です。

少し時代は戻り1950年代には三種の神器とも呼ばれた家電があります。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫です。

当時は高価なものでしたが豊かさの象徴として、便利な生活をおくるため日本中に普及しました。

反対に便利ではない生活とはどのようなものでしょうか。

僕の以前住んでいたタイの山岳民族の地域でも米作りが盛んです。

そこでは機械ではなく人力での作業がほとんどでした。

耕耘には水牛にすきという道具を引っ張ってもらいます。田植えや稲刈りは村の人総出で行います。

それはものすごく時間もかかり、体力も使います。

そして彼らの生活はすべてが便利さとはかけ離れていました。

薪で火を焚き調理をして、手洗いで洗濯をして、山から引いた水はときどき詰まるのでこまめにメンテナンスしなければならない。

こんなにもやることは沢山あるはずなのに、忙しそうにしている人とは出会いませんでした。

便利になるというのは喜ばしいことだと思います。

今やだれでも海外旅行に行けて言葉もスマホで通訳して行けなかった場所にもいける。

専門性の高い情報もネットで最新情報にアクセスできる。

いつでも美味しいものが食べれるし、趣味を満喫できる。

便利になったからこそ沢山の楽しみに溢れていて、好きなことが出来る可能性が広がりました。

自由な時間を得るために便利なものをつくってきたのに、僕たちは自由になるどころか忙しくなっているように感じます。

便利さというのは慣れたら感じなくなるもので、スマホも当たり前、洗濯機も勿論当たり前の世の中になれば、あれば便利ではなくて、なければ不便ということになってしまいます。

時間を短縮した分は自由に使えるはずなのにその時間にやらなけらばいけない予定を作ってしまっているのです。 

更に時間を管理することが増えました。列車のダイヤの正確さを始め、連絡がリアルタイムで頻繁にとることが可能になり、分刻みでのスケジュール管理ができるようになりました。

そして時間を極限まで短縮しスケジュールをぎっしり詰めて無駄のない生活を送るようになりました。

無駄のない生活は一見良いことのように見えますが、無駄というのは必要な時間だと思います。

その必要な時間とは心を休める時間です。体を休めることは意識できても心を休めることにまで気を使っている人は少ないのではないでしょうか。

只々ぼーっとすることや頭の中を整理すること、自分を見つめなおすこと、それが心を休める時間だと思います。

この時間をとらなければ、今自分にとって必要なものはなにか、これから進むべき道が見えずに気持ちだけが焦り、あれもこれもと余計に予定を詰め込んでしまいます。

平日は仕事をしなければならない、休日は遊びに行かなければならない、連休は旅行に行かなければならない。

空いた時間はスマホでニュースやSNSチェックをする。

最近は時短や時間の有効活用に関する本も多く出版されて、時間の無駄をなくし、少しでも多くのことをこなすことが良いことだとされているように感じます。

逆に何もしない時間ができると無駄な時間を過ごしていると感じてストレスを貯めてしまうのです。

タイの山岳民族の地域では無駄な時間だらけでした。

豚や鶏を飼って卵や肉を得たり、米は機械を使わず手作業、薪割をして焚火で調理する。

仕事をバリバリしてお金を稼いで買った方が楽できるはずです。自由な時間も手に入れられる。

しかし彼らの方が自由な時間を過ごしているように見えます。

昼間から酒を飲んで仲間と語っていることもあります。

ご飯も出来合いの物を買ってくるのではなく畑からとってきたばかりの新鮮な野菜を自家製の調味料と一緒に料理します。

魚とりに行くついでに川で遊んだり、山にキノコや山菜を採りに行ったり。

スケジュール管理はせずその日の気分に合わせてやることを決めていく。昼間暑ければ昼寝するし、雨なら家でゆっくりする。

気持が乗らなければダラダラと一日を過ごしてもいい。

時間を正確に管理しないがゆえにゆとりがあり、その時の気持に合わせた行動ができる。

これが忙しそうにしていない理由だと思います。

これから先リニアモーターカーができて、通信環境は5Gになり技術は進歩し更に便利な世の中になります。

しかし、便利になり節約した時間の中で更に仕事を増やし、時間を管理すればより忙しさは増すでしょう。

便利さの本当の意味での恩恵を受けるためには無駄な時間を無駄なことだと思わず、それは心の休憩であると知ること。

管理された時間ではなくて、気持ちに沿った時間の使い方を受け入れること。

それが本当に便利になったということではないでしょうか。