アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

教育支援って何を教育したら良いんだ

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僕はタイで支援活動をしているのですが、教育支援が大切と考えています。でも教育支援って何を教えたらいいのか、そもそも教育支援が必要なのかと考えることもあります。


時には今まで当たり前に必要だと思っていたものも疑ってみると新たな発見があるかもしれません。少し教育支援について考えてみようと思います。


教育が受けられないことによるデメリット

タイの識字率は93.5%(2005年)と高い水準ですが、タイ国民として認められていない山地民がカウントされていないので実際はもっと低くなるでしょう。アフリカには30%を切る国も存在するので世界的に見れば文字の読み書きをできない人は少なくありません。


文字を読めないことで起きる問題

●危険な薬品と薬の見分けがつかない

薬があってもそれがどのような効果があるのか使用方法はということが分かりません。たとえそれが「危険食用禁止」と書かれた毒物だとしてもそれが分からないというのは大きなリスクです。


●説明書が読めない

農薬などの商品を買っても正しい使い方がわかりません。1000倍に希釈して使用するところを100倍でしかも大量に撒いてしまえば作物に影響があるばかりか周辺の生態系を壊し人体にも影響があるかもしれません。


●公的サービスを受ける書類を書けない

医療や国からの補助金などが受けられることになっていても書類に記入することができませんし、情報が文字しかない場合それがあることも知りようがありません。


●先人の知恵が受け継がれない

元々文字をもたない民族はことわざや歌に先人の知恵を後世に伝えるために作っていますが、文字は知恵を残すために非常に効率的です。本が読めれば効率的な作物の育て方や最適な医療行為、文化などを経験がなくとも知識を取り入れることが出来ます。


悪意のある人から騙されることも

自分自身で考える力をつけることは自分の身を守ることになります。人身売買のバイヤーは騙しやすいという理由から教育レベルの低い人を狙います。金銭や男女関係のトラブルから殺人に発展することもあります。


トラブルから回避するためにも正しいことを判断し考える力をつける必要があります。


教育支援の弊害

教育支援というと募金で学校を作った、ボランティアで日本語を教えているというイメージがあります。


しかし募金で建てられた学校の中には先生がいなくなって廃墟になった校舎もありますし、日本語の重要性にも疑問があります。


教育が文化を壊すということも考えられるし、本当に教育は彼らのためになるのでしょうか?


誰が幸せになるのか

教育支援によって誰が幸せになるのか考えてみましょう。もちろん支援される側の人たちが幸せになるためのはずなのですが現実はどうでしょう。


学校を作ることは良いことかもしれません。しかしその後の管理運営が出来ず有効に活用されなければ意味がありません。学校を作ったという、人々が理解しやすい物、写真写りの良い物の方が好まれる傾向があります。


目に見える物なので現地の人からも理解されやすく良い反応を貰えます。日本人からも反応が良く支援金も増えることでしょう。


仮に都市部の教師を教育が十分でない土地に1年間派遣し生徒の教育レベルが上昇したら給料昇給に反映するというシステムをつくりだしても話題性に欠け、人々の反応は少ないと思います。


このシステムが良いか悪いか分かりませんが仮にこの方が良い結果になると分かったとしても学校を作りたいと思う人は、自己満足のため、よりお金を集めるためという支援者のための支援になっています。


日本語学習も彼らにとっての日本語の重要性はそれほど高いとは思いません。英語や中国語の方が将来使える可能性が高いのであればそちらを勉強した方がよいはずです。


日本語を必要とし学びたいという人だけに教えればいいのです。


学ぶべきことは人それぞれ

学習内容は先進国で行われるものと同じにはならないはずです。山で暮らす彼らにとって微分積分とかフレミングの法則は知っていたところで活かす状況はほとんどないでしょう。(微分積分とかフレミングの法則を教えているかは知りませんが)


災害の多い土地では災害に対する知識、地震や土砂崩れ、洪水、津波などの前兆を知り、初期の対応、避難経路の確保、防災用品の準備、避難中の防寒や衛生に対して。


病気やマラリアなどが蔓延している地域なら、予防、治療に対する知識。例えば病気の感染経路を知ることで、飲料水に含まれる病原菌やウイルスが原因なら煮沸、塩素消毒が有効だということ、下痢には十分な休息と水分摂取(生理食塩水)が有効なことなどです。


塩素も生理食塩水も安価で手に入れられるのでお金をかけず知識と少しの手間だけで大きな効果が得られます。


HIV患者が多いなら、コンドームでの予防、感染したとしても接触程度でうつることはなく薬で発症は遅らせることが出来るということを伝えます。


生きていくためにお金が必要ならお金を稼ぐための方法について経済のシステムを知る必要があります。そこで人を騙し多くのお金を得ようとする人は必ず出てきますから、人として正しいこと、悪いことを判断するための道徳の教育がそれ以上に必要です。


僕の考える教育支援を段階分けしました。数字が小さい物から生きるためにまず必要になってくることです。

1.衛生、病気に関する知識

2.食事、健康に関する知識

3.農業、畜産、漁業など食料を得るための知識、技術

4.災害、自然現象に関する知識

5.お金を得るための商売の方法や技術の会得

6.基本的道徳と考える力


僕たちの暮らす環境は教育が無くても生きていける環境です。衛生状態がよいので感染病などに掛かるリスクは少ないですし、病気にかかっても医療が発達しているので死に直結するケースはまれです。


食事も栄養が足りないということはなく逆に栄養過多で肥満や生活習慣病が問題になるほどです。


食料は自分で調達する知識などなくてもスーパーで購入できるので食料生産の知識、技術は不要です。


災害に関しても建物自体の強度や地域の防災備蓄、地震や津波速報などがあり個人の知識は必要ですが、環境に大いに助けられています。


お金が無くても最悪生活保護という国の保証があるのでお金がなくて死ぬことはありません。



僕たちが高い教育を受けられるのはこれらの生きるための基本的なことが環境によって助けられているからです。


その環境がない地域に暮らす人にとって必要な教育はより生きるために基本的なことに近づいていくと思います。


地域によっても何があって何が足りないかが変わってきますし、常に環境に合わせた教育が必要になります。